釣りと私:少年期
こんなご時世で新規釣りも行けないのでなんとなく自分語りをしてみます。
私と釣りとのふれあいは大きく分けると3期にわかれます。
・少年期
・大学・社会人なり立ての頃
・現在
今回は少年期のお話
時代は昭和から平成になった頃、地元の公立中学に通う私は部活したり友達と遊んだり
普通の中学生活をおくっていました。家の近所に鶴見川はあったけど、全国ワースト3位の汚染された川、コレラ菌がでたりとにかく汚い川。全く釣りの対象ではなかったです。
で、友達で海釣りをする子があらわれて一緒に行く感じに。(多分その子のお父さんはかなりの釣り好き)
行く場所も決めてくれているのでただ自転車に乗ってついていくだけ。
釣り道具は孫に甘い祖父が近所の釣り具屋で買ってくれました。
リョービのスピニングリールとどこのメーカーか忘れたスピニングリール、
最初からナイロンの太いライン(5号くらい?)が巻いてありました。
ロッドは振出竿2本(メーカー不明)、今思うとかなり固めの竿でした。
で、休日になると自転車で大黒や扇島方面へ向かいます。
あの当時が緩かったのか、かなりグレーな状態だったのか、友達の父が色々根回しをしてくれていたかは不明ですが、
休日休みの企業の敷地に入って釣りしてました。入口の守衛さんに「こんにちはー」と声かけて入ると、
守衛さんは「海落ちないよう気をつけろよー」とか「今日はこっちの堤防は荷が多いからあっちの堤防で釣れよー」とか返事をしてくれて・・
で、邪魔にならない場所に自転車置いて釣り開始。
1つの竿は投げ仕掛け。
ジェット天秤にセールの時に買いだめした流線針3本仕掛けをつけて、針にゴカイをセット。
あの頃は餌自販機にゴカイ、青イソメ、袋イソメが売られてて、
ゴカイ:我々の主戦力
青イソメ:ゴカイより100円高い高級品、使っているやつは「おぉ」と言われる
袋イソメ:買うこともない高級品
という位置づけでした。(ローカルルールかも)
で、もう1つはサビキ仕掛け。
青いコマセ袋、スキンサビキにナス型おもり。
投げ竿をキャストして、サビキで足元の魚を釣り、15分毎ぐらいで投げ竿回収といった
ローテーションしてました。着いてから帰るまで永遠と・・
あの当時の魚影が濃かったのか、釣り場のおかげかはわかりませんが、
投げは20cmを超えるメゴチ、ハゼ。たまにカレイやキス、アナゴ、シャコ、アイナメ 等々
特に技術向上目指すわけでもなく毎回同じことをやってそれでも帰りにはクーラー一杯の魚を持ち帰ってました。(締めとか血ぬきとか知らなかったので釣ってすぐクーラーにポイ)
で、母が捌いてフライや煮込み料理などで晩飯へ。
たまにヘチ釣りしてるおじさんが「やるよ」って言って巨大なアイナメやカサゴをくれたりすると晩飯のおかずが多少豪華になる感じ。なんか巨大なアイナメもらう事が多かったよーな・・
普段は自転車釣行だったのですがたまに友達の父が本牧海釣り公園に送迎してくれました。朝眠い時間に集合して車に乗せてもらってワイワイしてると着く場所。
施設化されてる場所、海の上に張り出した桟橋、いつもより深い水深へサビキを落とすと大きなアジやサバが釣れる場所・・
当時は車に乗せてもらうだけだったので家からの距離感などわからず、友達とワイワイしてると着いちゃうどこかわからない夢の釣り場。
一番の思い出はサバフィーバー。40cmを超えるサバが入れ食いの日があったんですよ。ものすごく引く魚が釣れまくり、サビキの針がどんどんなくなって売店でサビキ追加購入したり、発砲スチロールのクーラー買い足したり。1か月のおこづかいが1日でなくなる状態、で、買える頃には全員のクーラーがパンパン。
知らないおじさんに「みんな両手にサバ持って写真撮るよ~」って言われて・・・
その写真が数日後の東スポの釣り欄に掲載されて、写真撮ったおじさん(記者)とは全く会話してないのに、「サバは横に走るから大変なんだよー」って感じの私たちが答えたという謎の談話が載ってて、みんなで「さすが東スポだなー」ってゲラゲラ笑ったり。
※当時は(今も?)東スポはトップ記事に狙ったようなフェイク記事を載せてました。
本牧で周りがアジ釣れてる時、自分だけがイワシしか釣れなくて悩んでいたら隣のおじさんが、「アジは底」って教えてくれたのでアジは底って事だけ憶えました。
魚をたくさん釣りたいというよりは友達と出かける事が楽しくて行く遊び、それが釣りでした。
大人になってから母に聞いた後日談としては、持って帰ってきた魚は締めてもいないし、たまに十分に冷えてない状態で持って帰ってきたこともあったのでその魚を捌くのはかなりイヤだったらしい。
で、高校生になると周囲のバス釣りブームに乗って、全く予備知識なくフィーリングで
ルアー買って、普段投げ釣りで使ってる固いロッドにナイロン5号のリールにルアーつけて適当に投げて適当に巻いて全く釣れなくて・・・・
祖父が「風呂は大きい方がいい」と大人2人が入れるサイズの浴槽の風呂を作っていたので、その風呂に水中眼鏡つけて潜りながら各ルアーの泳ぎを確認するのは楽しかったです。でも釣果につながることはなく・・
そのうち飽きて釣り道具は部屋のすみに置かれる事になりました。
釣り道具は埃をかぶったまま高校時代は過ぎていきました。
(続く)